料理

支那竹(シナチク=メンマ)

夕食はラーメンでした。
もちろんあの憎っくき支那竹(シナチク=メンマ)は入れません。

そういば、前に某SNSで以下の投稿をしましたら「支那竹好きです」という変態がたくさんいらっしゃってビックリした思い出があります。

「育ってきた環境の違いなのか、ラーメンのシナチクを食べる人をはじめてみた。メンマだからと言うのだけど、割り箸の煮込みごときを食物繊維といって平然と食べる姿を受け入れられそうにない」

大昔より支那竹(シナチク=メンマ)を受け入れられません。
ところがどこでラーメンを食べても支那竹だけはどうしても入ってるんですよね。
アレを本当に美味しいと思っている人の割合が知りたいです。
支那竹ってあれでしょ?
使用済みの割り箸を適当な長さに切って煮込んだものでしょ?

麺大盛りってありますね。 麺が好きなんですよ。
チャーシュー麺ってありますね。 お肉が好きなんですよ。
ネギラーメンだって聞いたことあるでしょ? ネギも好きなんですよ。
支那竹大盛りって聞いたこと無いもん。
実は皆の衆も支那竹ってそんなに好きじゃないんでしょ?
無理して食べてるんですよね?

実は我が家で支那竹を食べる人間は誰もいません。ラーメン店でお店が忙しそうじゃあなかったら「全部支那竹ナシでお願いします」と告げます。間違って麺と一緒に口に入れてしまった恐怖ったらないですからねーー。

気をつけなくても食べられる幸せ
気をつけなくても食べられる幸せ

「支那竹」

中国の蘭州出身の料理人・李勇(リユウ)氏が考案したという割り箸の煮込み料理。1930年、南京街(現在の横浜中華街)の中華料理店「宝龍」で料理の腕をふっていた李勇氏であったが、特に彼の郷土で愛されていた拉麺は絶品であり当時は行列の絶えない店として名を馳せていた。しかし氏の悩みは大量に破棄される割り箸であった。
そこで氏は使用済み割り箸を、料理として再利用することを考案した。当時の製法は詳しく分かってはいないが、味は現在よりもやや醤油味が濃かったという逸話が残っている。煮箸(にばし・当時の名称)は今の牛丼屋の紅生姜と同じように、好みで入れることになっていた。大半の客は「他人の食った割り箸の煮込みなんぞ食えるか!」と拒否反応を示したが、そのコリコリとした食感が好きだという物好きもいて煮箸は徐々に南京街に浸透していった。特に「お好みで入れ放題」を良いことに、1杯の拉麺で煮箸を大量に食べる輩も目立ち始めた。それ以来、煮箸はトッピングのひとつになっていったという。
徐々に煮箸は近隣の中華料理店も真似し始め浸透していったが、煮箸とうい名称を支那竹と偽り発展させていったのは「宝龍」で修行し、拉麺専門店として独立した「永宝」の永平であった。それ以来、煮箸という呼び方は徐々に消え現在の支那竹という呼称に至った。しかし、現在では支那という呼び方はダメだという概念(China=支那なのに)からメンマと呼ばれることも多くなっている。

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